パーマカルチャーを勉強する前&した後の暮らし
もうすぐ、お盆です。
さて、昨年のお盆は何をしていたか?!
8月11日から11日間、藤野パーマカルチャーセンターで、パーマカルチャーデザイナーになりたい!と10泊11日という合宿に行っていました。
その合宿でできた仲間とは今でもときどき会っては、それぞれの暮らしぶりや考えを話しています。
その、合宿からもうすぐ1年が経とうとしている。ので、ちょっと振り返りをしようとおもう。
あのとき、私は半年、一年の間に、全国の気になるところに行き、移住先候補を探す。
ようなことを、話していました。
実際には、宮崎の椎葉村の椎葉さんは焼畑をしていて一度は行った方がいいよ、という設楽さんの言葉に、5月に両親をとともに行ったくらいで、具体的な移住先候補へと旅に行くことはなかった。
周りの仲間たちが、岡山に、奈良に、千葉に、と移住していくなか、わたしは何をしていたかというと。。。
1)庭仕事の鎌倉の自家菜園のデザインと菜園の管理の仕事をするようになる。
2)山梨 大月エコの里 自分畑をはじめる。
3)山梨 大月エコの里 棚田プロジェクトのメンバーになり、米作りをはじめる。
4)山梨 大月エコの里 1反近くの自然菜園の畑をデザインして、野菜を育てたりしている。
デザイン業も、庭仕事もしながら、さらに、3ヶ月に一度は、三線でボランティア活動も、である。
振り返ればよくこんなに時間があるものだとおもう。
すべて「はじめての土地でのこと」を実践、体験してきた、といえる。
はじめての土地で、野菜づくりをすることの難しさ。。。気候の違い、土がそもそも違う。
すべてがはじめてになるわけで、育つものも、土地により異なる。
自然農を主として、やっていることは土地が違えど大きくは変わらないのだけど、悩みもたくさん生まれたりもした。一人では考えられない、育てることがない野菜も、はじめてたくさん作っておもしろかった。たくさんたくさん、種まきをした。そして、それぞれの仲間も増えた。
7月からは、ゆっくり畑仕事をしていたいなっておもったら、忙しかったデザイン業が落ち着き、今にいたる。
海がある葉山・鎌倉の暮らしの中で、レストランのお庭と畑を仕事としていること
(仕事だからという感覚はない)
山がある大月で、先人から多くを学びながら、田圃、畑の経験をしていること。
(趣味でありながら、勉強も兼ねているところもあり、すべてオフという感覚はない)
すべてが一箇所にあればいいのにとおもうこともあるし、このバランスが良いように思える。
どちらにもよい影響を与えているともいえるし、すべてがつながっているようにも、おもう。
先日、ふと庭仕事の経験が、畑仕事の経験を超えたのでは?!とおもうことがあった。
これまで、畑仕事を4年近くやってきたなあって思っていたが、一週間か二週間に一度行くようなペースだったので、ぎゅぎゅぎゅと詰めると、冬は行かないし、4年とは言えず、3ヶ月ほどやったというようなことになるわけだ。そうなると庭仕事は、週一度+週2回のメンテに行くことを2年つづけてきたことになると、経験値が畑を上回ったかも!という感覚は、直感であるが正しいようにおもう。そのような感覚から、畑仕事の見方が少し変わってもきた。
話はそれたが、これからどうするか!である。
それを日々問いつつ、目の前のことをやり続けているのだが、今一度分析をしてみようとおもっている。パーマカルチャー前と後。変わったのは、暮らしそのものよりも、いろんな人がいるんだということを受け入れる。多様性を受け入れるということだとおもう。そしてそれは、自分はどうか、という確認にもなっている。
やりたいことだけでもたくさんあることに気づく。。。ゆっくり急げである。
ゴマのさや この中に何粒ものゴマがいる。
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