目にはみえない ちからというもの
ここ約2週間ほどの間、実は、大分、博多、神戸へと移動していた。ようやく心が落ち着いたので、メモがてら記録をしておくことにする。
大分では、幼稚園からの幼なじみに10年振りに会い、マインドパワーの施療を受けたり、博多のほうまで赴いた。臼杵で念仏をみて、佐賀関で美味しい関アジを食したり、幼い頃住んでいた地域をぶらりと見にいき、大好きだったぞうさんの滑り台がまだそこにあったり。
博多では、これまた6年ぶりくらいに、小学校時代の幼なじみに会い、まだ幼い子供が中学生になっていた!おうちでゆっくりご飯をいただき、恥ずかしいことに私が彼女に送った、たくさんの手紙が保存されていてそれを読んだりした。。。ほとんど恋話。勉強してたとかいなっていう感じ。
そして、博多に拠点を移したパーカル仲間の友人の友人とタイミングよく会うことができ、たくさん話をして、それはあたたかな時間だった。
大分、博多は、ちょうど幼稚園から中学1年まで過ごした。幼稚園ではおてんばでスカートをやぶいてばかりいるような毎日。小学校にあがったとたんチビで毎日男子に泣かされていた記憶しかない。博多に転校してからは、これじゃいけんと弱い自分とサヨナラし元気いっぱいの自分にすっかり変身した。大分と博多は、多くの大事な感受性を養った場所であり、原点でもあるようにおもう。
そして一旦葉山にもどり、どうしても両親に会って話したいことがあって、神戸へ。真剣に話をしてみたら、それはそれはとてもいい時間だった。
今回で、感性の旅は一旦終えそして、身をもって感じたのは「自分の感性を信じる」ということだった。これからも自分が感じてるこの感覚を信じていくことが自分にとって大事なニーズであることを自覚した。そして、それができるのは、両親からたくさんの愛情をもって育ててもらったからこそかなとも、おもった。感謝いっぱいの旅であった。
みな、それぞれ生まれたときから 目には見えない力をもっていると私はおもう。それがいつしか
自然のそばから離れて住んだり、目の前のことが忙しく自然からのメッセージを受け取れなかったりして、感性が鈍ったり、忘れてしまったり、本来もっているはずの力を失ってしまっているのではないかとおもう。
それに気づくか、気づかないか。そして、その感覚を日々磨いたり、試したりしながら養っていくものなのかなとおもう。私自身は、自然という雄大であたたかな存在からたくさんのパワーを日々もらっていると感じている。夕日がとても美しく茜色になっていて感動したり、遠く見える伊豆大島が綺麗にくっきりとみえて海が光でキラキラと輝いて眩しかったり、庭の池の氷がとても微妙なバランスで凍っていて葉っぱが、時がとまったかのごとく美しくそこにいたり。様々な場面で、感動をもらっている、そういう些細な瞬間瞬間からパワーをもらっているとおもっている。
それでいい気がしている。もちろん元気な人からは元気をもらうし、励まされることもたくさんある。人それぞれ、パワーをもらう回路も実は違うのかもしれない。。。なんておもったりもする。
それは果たして、自然か、不自然か。 自分のなかの基軸がまたひとつ見つかったかも。
いま、しあわせかっと聞かれたら、いまはいまでしあわせだとおもっている。
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