尊敬することからはじまる
少々背中を痛めてしまって、半年ぶりに整体にいきました。
どうも自分がおもっているよりも、不健康だそうです。先生曰く。。。
身体は正直です。自分のことをもっと大事になさいというメッセージですので、
少しゆっくりめに過ごしています。
一週間の間に2回行くことで、だいぶ調整できました。いかに身体がこわばっていたか、
2回目のときにわかります。身体がこわばると心もかたくなになります。いろんなことを受け入れる余裕もなくなるのだとおもいます。つながってます。心身は。
整体の先生と話しているとごちゃごちゃとおもっていた事をいろいろと整理される時があり
やはり、こうゆう時間も大事なのだと気付かされます。
ふと整体の先生とこんな話に。
わたしは仕事をしているとき、仕事をいただいてるのことは確かですが、立場は対等でありたいと常々おもっています。業者だからといって態度を変えるような方とは仕事をしたくありません。
個人で仕事をしているからできるのかもしれないのですが、お互いが意見をちゃんと交換できる、言いにくい事もちゃんと言える、そして意見を受け入れられる余裕のこころをもつ。
そして、友人に対して、仕事の仲間に対して、そして親、兄弟に対して
尊敬できること これこそが 関係をスムーズにする秘訣だとおもいます。
あたりまえだよ、とおもうかもしれないけど、、、案外そうではない場面を目にするので、より強くおもっています。自分にとっては 親に対してがいま足りてないのは確かですが。。。
尊敬 という気持ちがあれば
思いやりの気持ちが持てます。だから ひどい物言いはしない、できないですね。
仲間だと思えば何か自分ができることはないかと助けたくなります。(おせっかいだけど)
フォローするならどのタイミングがいいのかとか。
これはやっておこうとか。スムーズに事が運ぶにはどうしようかなとか。
ときに 俯瞰して みる視点ももてます。
身体が痛いということは 気が滞っている あるいは つまっているような感じなのだそうです。
でも 流れは 急すぎるのもよくないようです。だから一度リセットする意味で 留めるようなこともするらしいです。。。面白いですねえ。
ともあれ、身体も心も、そしていろいろなことが 循環すること。
それが 関係をうまくまわらせる ことにつながるようです。
尊敬しています ってなかなか告白のようで(すごいね は言えるけど)
言葉にするのは恥ずかしかったりします。それは自然に伝わることかもしれませんが、、、時に言葉として伝えることも、必要な場合もあるのかもしれないですね。
そして、整体の先生と話していた 尊敬の話を また誰かに伝える あるいはここで。。。
そんな 言葉の循環もありますね。
この共感が 誰かの共感になれば
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