ほんとうに大事なことってなんだろう

先週、朝起きたら、声がでなくなった。喉は全然痛くもかゆくもないので、ストレスであることは確か。どうしたものかとおもったが、人生2度目なので、慌てることなく、家にいてもとおもって畑仕事をした。でも、これは休むしかないと、丸一日ほどご飯も食べずにひたすら眠り続けた。本当にゆっくり眠ったのは久しぶりだったのかもしれない・・・知らぬ間に、あまり食欲もなく、ぐっすりと眠れないまま過ごしていたのかも。身体は正直である。

ま、いいか声がでなくても、別に生死に関わることじゃないし、なんとかなる。開き直り、そして原因となることは何かなあっておもってここんところの自分を観察。そう、自分をどこかで責めていた。デザイナーである自分=お金を効率よく稼ごうとする自分=好きじゃない。

庭仕事や畑仕事をしているときのリラックスして自然にできてる自分とのギャップがあまりにも大きくなりすぎていることに気がついて、受け止めきれない状況にあった模様。観察の結果そう思った。

でもこれも、受け入れるしかない、ありのままのいまの自分なのだから・・・いまはそうだもんね。それがわたしのなのだからね。全部ね。

と、おもったら気持ちが楽になり、声が出た。約2日ほどで出たのだからいい方だった。


翌日、声がでたので田んぼのことで大月まで出かけた。駅を降りたら、おじいちゃんが苦しそうにしていた。無人駅。どうも気分が悪くなってしまってうずくまっている・・・そばにいた若いギャルのおねえちゃんに、おじいちゃんが、「家に電話してください」と頼んでいる。おねえちゃんが家に電話したら切られた。どうもオレオレ詐欺的に思われたのか?!近くにいた別のおじさんに電話してもらいようやく家族に理解してもらえた。ただ、かなり高齢のようなので、このままじゃなんか心配だ!あたしは救急車を迷わず呼んだ。119ってこんななんだーと思いながらも冷静に。たくさんおじいちゃんのことを聞かれ、状況を話して。正直今聞かなくてもいいねん 早くきてくれたらいいねん とおもいつつ。。。駅で待ち合わせしていた友人もいたので、安心しながら救急車を待った。

幸い息子さんや奥さんもきて、慌てるようなこともなく、救急車がきてほっとする。多分大丈夫だろう。。。後になって、「あー声が出てよかった。。。これで声がでなかったら助けることもできなかったかもなー」とおもった。声がでなければ出ないなりのことをしたのかもしれないけれど素直によかったなあーっておもった。

日々何があるかわからない。不安になることもたくさんある。このごろちょっと精神的にも弱っている自分がいる。でもその状況を理解して、受けとめてあげることができるのも自分であり、大事なのかなとおもう。デザインをすること自体はもう何年もやっていて慣れていることだからストレスはそんなに感じていないとおもう・・・ただ同じ仕事はあるわけもなく、毎回違う。最近は、デザインするだけのことは少なく、時に調整役、進行役、はたまたアドバイスしたり、グチを聞いたり!?、まわりを安心させる役のようになっている。そうするとだんだん、こちらの心に何かが溜まってくるようで、それを庭や畑で浄化しているような感じ。ただそれが追いつかなくなるようなときは、いまのような調子になるようだ。

人には、大丈夫ですよーーーっていいながら、自分は大丈夫でないのかもしれない。

大丈夫だよって言われると本当に、安心できるから、大丈夫だよって言ってあげたくなる。

本当に、大丈夫だよって余裕をもって、あたたかい気持ちで言えるようになれる日はくるのかなあ。

そのためにも、いろいろなことをやっていることを、少し整理していく必要がありそうだ。

何をやる 何をやらない そして誰とやるか これから吟味していくことになるとおもう。

そして、自然のそばで生きていく方向へ、振り切る勇気をもちたい。ここは加速して。

アナスタシアを読んでいてそうおもったのでした。

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